【DR紹介記事】ドラゴンラージャのすすめ
#ドラゴンラージャ電子版復活ありがとう Advent Calendar 2023 企画の5日目に参加しています。企画の 朝からポテチ様 ありがとうございます!
『涙を呑む鳥』《バード・ザット・ドリンクス・ティアーズ》日本版ヒット祈念 ドラゴンラージャ未読者向けのプレゼン
ドラゴンラージャのファンのみなさんも、まだファンじゃないみなさんも、ごきげんよう。初めまして、それともお久しぶりです、でしょうか?
来年2024年は、ついに十数年ぶり、作者イ・ヨンドの長編小説『눈물을 마시는 새(涙を呑む鳥)』が日本で翻訳刊行される記念すべき年になりそうですね!
⇒※2023/12/27追記
2024年中に、イ・ヨンド《バード・ザット・ドリンクス・ティアーズ》シリーズとして、ハヤカワ文庫FTより順次刊行予定との告知あり!
(※ソース:本の雑誌編集部『おすすめ文庫王国2024』(2023/12/6刊行)のハヤカワ文庫新刊予告より)
イ・ヨンド先生の十年ぶりの翻訳新刊をよろしくお願いします!!!!!!! 本当にお待ちしておりました!!!! ありがとうございます!!!! これで日本でもみんなに勧められる。飛び上がるぐらいうれしいです。うれしすぎてこのニュース見た直後に電柱にあやうくキスしかけました。人生で最高の瞬間かもしれない。
ちなみにこの告知についてX(旧Twitter)で大騒ぎしてたら、イ・ヨンドとほぼ専属で契約してる韓国の出版社の編集長に見つかり、ハヤカワでの『눈물을 마시는 새(通称:눈마새)』シリーズ日本語版刊行が、私のツイートを引用RTする形で公式に発表されました。その編集部公式告知ツイートは数千RTされ、韓国国内のファンの人たちの間で日本版出版のニュースが注目されているのがわかります。それにしても通知見たとき気が遠くなりましたね。原書の編集者と翻訳版の編集者(たぶん)にアカウントがバレた
엇. 엠바고였는데 발표되었군요. 공유 감사합니다. 일본 하야카와에서 <눈물을 마시는 새> 전권이 출간될 예정입니다. https://t.co/15WVzmExua
— 황금가지편집장 (@goldenboughbook) 2023年12月16日
そして、続シリーズの《血を呑む鳥(仮訳)》のほうも翻訳刊行されるよう祈っております!! みなさんぜひ買ったり友達におすすめしたりしてくださいね…DRFWの続き『影の痕跡』が翻訳されなかった悲しみをまた味わわないですむように…
イ・ヨンド『涙を呑む鳥』⇒《バード・ザット・ドリンクス・ティアーズ》、傑作長編ファンタジー小説をよろしくお願いします! 翻訳関係者の国際イベントの時点で各国話題沸騰! 十数か国での翻訳権取得、韓国文学史上最高額の版権料! 作者へのヨーロッパツアーの誘い(イ・ヨンド本人が断ったんですけど…)。本当にすごいですね! めでたい! すでにロシア版、イタリア版は1巻が刊行、ドイツ版、オランダ版1巻が来年春までに出版予定のようです。
イ・ヨンドが世界的作家になるまで秒読みですね。
ファンとしては、ようやくか、というのが正直なところ。私個人は、とっくにそれぐらい評価されてておかしくなかった作家だと思ってます。いやーしかし全世界で人気作家になってますますお金が入ってこれ以上寡作になったら困っちゃうな、先生新刊のお恵みをください。でもオタクが干からびるぎりぎりの瀬戸際で餌をくれる、そんなところも嫌いになれない。
脱線しました。
さて、そんな年の前年に、『ドラゴンラージャ』電子書籍の復活、すごくうれしいです。
なんなら『フューチャーウォーカー』も電子書籍刊行してくれていいんですよ、ええ。各プラットフォームで複数買いしますからね。
もちろんシリーズ最終作『影の痕跡』が翻訳されちゃったりしたら、うれしすぎて百冊ぐらい買うかもしれない。
私はドラゴンラージャのおかげで人生変わりました。
詐欺の広告みたいですが嘘じゃないです。
この刺さる人には徹底的に刺さるファンタジーと、子供のころに出会ってしまったせいで、私の人生は百八十度変わってしまった。
というわけで、ここから完全に新規の読者の方向け、ドラゴンラージャの簡単な紹介とおすすめをします。
来年以降、イ・ヨンドが超人気作家になった暁には、あわよくば、検索からこの紹介記事を読んで過去作ドラゴンラージャも読んでくれる人がいるといいなあ。もくろみが水の泡ににならないよう、出版社の方々、涙鳥の翻訳《バード・ザット・ドリンクス・ティアーズ》の刊行、よろしくお願いしますね!!!! お待ちしてます!!!!
#『ドラゴンラージャ』
大切な人(※父)をドラゴンの人質にされ、取り戻すために旅立つ、少年主人公の胸躍る冒険譚。
魅力的で立体的、みなそれぞれに意思があり人生があり、敵であってもどこか愛すべきキャラクターたち。
多種族多国籍で構成された色とりどりの主人公パーティー。
国家の存亡を揺るがす陰謀の数々、数百年の歴史をこえる謎と明かされる真実。
世界をかけた愛と滅び。
ファンタジー定番の旅物語、各地の個性的でリアリティのある情景描写、美味しそうな食べ物、美しい風景、そこで出会う個性的で生き生きとしたひとびと(※異種族を含む)…。
と、ド定番かつ直球のファンタジー小説。
ひと昔〜二昔ぐらい前のライトノベルやTRPGノベライズのファンタジーに触れたことのある人なら、懐かしささえ感じるかもしれません。
なぜなら、作者イ・ヨンドもその時代のTRPG小説や日本ライトノベル育ちだから…!
ちなみにメモライズをはじめ、多くの設定はダンジョンズ&ドラゴンズのオマージュであり、さらに源流に遡れば指輪物語の影響下でもあります。
つまりファンタジー好きは無条件でわくわくする単語がいっぱい。
ライトな読み口の本格ファンタジー小説が好きなら、絶対に読んだ方がいいです。
メインキャラクター紹介
パーティーに加わるメインのキャラクターだけ、ネタバレにならない程度に紹介しましょう。
主人公のフチ・ネドバルは、柔軟な思考と素直な感性、くそ度胸をあわせもった、おしゃべりで賢く、少々生意気なところのある少年。
かれは、小説の舞台となる大陸の辺境も辺境、ド田舎の村の出身であり、われわれ読者と同じく、この世界のことをほとんどなにも知らない立場から、一緒にこの未知なる世界への旅へと誘ってくれます。
基本的には、彼の成長譚、「行きて帰りし物語」というやつですね。皮肉っぽいが心優しい少年が、旅をへてどんな風に成長するのか、見届けてあげてください。
主人公と同じ村出身で、ともにドラゴンの身代金のために旅立ち、長い旅路のほとんどに同行するカール・ヘルタント、サンソン・パーシバル。
カールは、村にいたころからのフチの師であり、いつも穏やかな口調に皮肉っぽい本性を隠した、博覧強記で分野をとわない知識人。
あたかもルネサンスの「万能人」といったところ。
実は貴族の血を引いており、弓の名手でもあります。フチが非常に皮肉っぽく、かつ視野が広いのは、彼の薫陶を受けたおかげです。
サンソンは主人公フチと年の離れた幼馴染であり、気心の知れた悪友。
辺境の村の警備隊隊長をやっていただけあって、戦いには万能、戦術の素養があるため実は地理にも詳しい頼れる男。
単純な戦闘能力では作中随一かも。とてもまっすぐでいい男です。
ファンタジーには外せない、主人公パーティーの異種族メンバーには、エルフのイルリル・セレニアルとドワーフのエクセルハンド・アインデルフ。
イルリルは美しい黒髪が特徴的な長身の女性で、D&D系統のエルフらしく、二刀流と弓、魔術、精霊術を巧みに使いわけ、動物と会話することもできます。
彼女は、人間とまったく異なる視点をもったエルフという「他者」として、ときに人間の常識からは大きく外れた行動をとり、フチと折に触れてさまざまな対話をし、彼の人間的成長に大きくかかわります。
エクセルハンドは斧使いで、老練で豪快なドワーフ。
ドワーフらしく人間社会の権威などには無頓着、めんどうなしきたりにはとらわれません。どんな人物とも対等に話をします。
実はドラゴンに関する重大な使命を帯びて人間の街にやってきているのですが、初対面のときはそんなことはうかがわせず(それもドワーフらしいところ…)。
長く生きてきただけあって、人間たちにとっては伝説のような話を昔語りとして話してくれることも。
そのほかにも、女盗賊、元スパイ、元王子、聖職者、など個性豊かな面々がパーティーに加入したり、一時離脱したり。
敵対関係からパーティーに加入するのは、魔術師のアフナイデル、ナイトホーク(盗賊)のネリアと、元スパイのウンチャイ。
アフナイデルは魔術師の青年。
魔法の実力はまだまだ低く、初登場シーンはあまりに小物らしいので笑ってしまいたくなりますが、ともに旅をするうち、いかにも専門職を目指す若者らしい等身大の苦悩にさいなまれていることが、だんだんわかってきます。
本来の性格は、意外と実直で学究肌。ちょっと気弱なところもあります。
挫折をきちんと受け入れて、旅の最中に大きく成長していく姿がまぶしいです。
ネリアは、RPGにおけるいわゆるシーフ職。
赤毛のショートカットと大きなトライデントがトレードマーク、自分の仕事に誇りをもって、ナイトホークと称しています。
気性が荒い真っ黒い馬、エボニーナイトホークを乗りこなすかっこいい一面も。
主人公フチに対しては姉御肌にふるまうことが多い彼女。その奥底にある、傷ついた心が、パーティーの面々との旅で次第にほどけていく様子は、非常にリアリティがあって魅力的です。
ウンチャイは敵国ジャイファンのスパイとして登場する、鋭い目つきが印象的な男性。
スパイだけあって流暢にバイサス語を操り、剣の実力はかなりのもので、故国の技術である殺気を操るなど戦闘力は一行のなかでも高いようです。
口調はたいてい冷たく、皮肉っぽいところがありますが、実は情が深い一面も。
彼はフチの言葉に影響を受けて、故国にとらわれず、自分の人生を生きてみようと決めます。
そこからの彼の人生の劇的な転換は、この小説のテーマにも大きくかかわってきます。
キルシオンはフチたちの暮らすバイサス王国の元王子。
雄牛に乗って魔法剣をふりまわす、いかにもファンタジーのおとぎ話の主人公にいそうなキャラクターです。
破天荒すぎて王位を捨て、旅に出て冒険家をやっており、作中語られないものを含めて、多くの困難をくぐりぬけてきたよう。
経験豊かな旅人であり、一行に旅についてさまざまな助言をすることも。
彼の相棒の魔法剣・プリムブレードがくせもので、すごくおしゃべりな少女の人格が宿っており、つかを握っていないと振動で文句を言い続けたり、キルシオンの発言をしばしばおかしなふうに捻じ曲げたり、邪魔したりします。かまってちゃんでかわいい。
キルシオンは自ら野に下りながらも、元王子らしい正義感や国家への責任感をいまでも持ちつづけており、それはやがて、複数のキャラクターの行く末に大きな影響を及ぼします。
隣国イルス公国に旅した際にパーティーに加入するのは、若きプリーストのジェレイント。
常にほがらかでニコニコしており、ちょっと天然っぽいところも。
聖職者としての実力は折り紙付きで、神力でパーティーを後方から支えます。
わりとシリアスに落ち込みがちな面々の多い一行の中では、随一のムードメーカー。
楽天家なのは生来の性格もありますが、神をひたすらに信仰する聖職者だからというのも大きいよう。
いつも人生を楽しんでおり、苦悩なんかなさそうな彼からかいまみえる、聖職者としての姿勢は、彼がけっして能天気なだけではない青年であることがわかります。
旅が進むにつれ、主人公たちが住むバイサスという国家について、そしてドラゴンについて、徐々に壮大な秘密が明かされていきます。
バイサスはどういう成り立ちをもっているのか。
そもそもの始まりからドラゴンと密接にかかわっていた、バイサス王国。
隠された歴史、埋もれた愛、時をこえて交錯し相克する人々の夢、欺瞞、挫折。
―そもそも「ドラゴンラージャ」とはなんなのか?
その答えが明かされるとき、この物語は原点にたちもどり、幕を閉じるのです。
ドラゴンラージャと私
ドラゴンラージャと出会ったとき、私は小学生でした。
12巻は発刊直後に読んだので、一応リアルタイム読者といっていいと思います。
ドラゴンラージャに出会ってからかれこれ15年以上の年月がたってるのを直視すると気が遠くなりますね…。
人生のほとんどをイ・ヨンドとともに過ごしています。こわい。
当時、お小遣いをもらうたびに、お小遣い全額の千円札を握りしめて本屋に通ったのを今でも覚えています。今考えると物価が上がりましたね……。
今でも「死んでみよう」とか、「そんなくだらない本を読んで」とか、「本を読め、本を」とか、ウィットに富んださまざまなセリフが頭の中によぎる瞬間があります。
なにより、この本に通底しているテーマには、私自身、大きな影響を受けてきました。
人生の指針になっているといっても過言ではありません。
「われわれは単数ではない」、人間は多面的で複雑、よくも悪くも変化しつづけるのであり、他者との相互的な交流のなかで生きているのだ、という、この繰り返される言葉は、私の人間観を決定的に形作りました。
「理想をかかげられない社会変革になんの意味もない」というカールの教えはいまも私の中に息づいています。
この本がなかった人生は本当に考えられない。
まだ読んでない人には読んでほしい。子どものころに読んだ人も、大人になってから読んだ人も、折に触れて、何度でも読んでほしい本です。
それから、DR読み終わった方は続編の『フューチャーウォーカー』も読んでくださいね!! 新品は入手困難ぎみですが、図書館か古本でぜひ。
ものは腐らず、作物は実らず、子は生まれず、伝説の化け物がよみがえる。
それは、未来がおとずれず、過去が現在に追いついてしまうという世界の危機。
未来がやってこないという異変を察知した、〈フューチャーウォーカー・未来を歩く者〉、ミ・V・グラシエルは、異変の原因を探るため、草原の国、ヘゲモニアの小さな村から旅立ちます。
未来を見る巫女とその妹を主軸に、ドラゴンラージャの登場人物たちもたくさん登場する群像劇。
フューチャーウォーカーはかなり暗い話で、DRより人を選ぶ話なのは否定できないんですが、できれば読んでほしい…。そしてイ・ヨンドが地獄の三角関係が好きに違いないという私の仮説を確かめてほしい……
【書評】『フランケンシュタイン』の極めて現代的で洗練されたパロディ ― イ・ヨンド「キメラ」
短編「キメラ」(1999)は、1997年に『ドラゴンラージャ』をパソコン通信上で連載して好評を得たイ・ヨンドが、雑誌「ベストセラー」で発表した、『ドラゴンラージャ』の外伝小説の二作目である(一作目は「ゴーレム」(1998))。時系列としては、1998年に『ドラゴンラージャ』全巻が出版されたのち、同年に続編である『フューチャーウォーカー』をパソコン通信で連載している途中で、一作目「ゴーレム」が雑誌「ベストセラー」に掲載。その後、『フューチャーウォーカー』の出版前後に「キメラ」発表となるようだ。
一作目「ゴーレム」に登場するのは、ドラゴンラージャ(以下DR)のストーリー全体に大きな影響を与える偉大な魔術師ハンドレイクと、DRでは間接的に言及されるのみにとどまった彼の弟子ソロチャー、そして彼らの研究室をよく訪ねてくるらしい、バイサスの王女ホルスルインの三人だ。時系列を考えれば、彼ら三人の実像が初めてお披露目された話ということになる。(DR内でも”生前の”ハンドレイクについて言及される箇所はいくつもあるが、それらは常に作中の登場人物によって語られた物語という形式をとっており、そこに描かれた彼の姿が事実だとは明言されていない)
「キメラ」も、引き続き彼ら三人だけが登場する。「ゴーレム」「キメラ」を含む三作をまとめるシリーズ名に「ある研究室の風景」との名がつけられている通り、物語は最初から最後までハンドレイクの王宮内魔法研究室だけで進行する。キャラクターの数も少なく、舞台となる場所も限定された、こじんまりとした短編だが、イ・ヨンドの手にかかれば信じがたいほどの立体感で物語が立ち上がってくる。
「キメラ」では、ハンドレイクとソロチャーは”完璧で新しい生命の創造”を口実に部屋の大掃除で出たごみを釜につっこんでいる最中、偶然にも生命を誕生させてしまう。そうして生まれた人工生命”キメラ”は、つがいを作ることを創造者たちに要求して、通らないとみると部屋を破壊して二人を脅迫する。この「作られてしまった人工の怪物がつがいを要求して、作り出した者を脅しはじめる」という冒頭だけでも、メアリ・シェリーの小説『フランケンシュタイン』のパロディになっているのがわかるだろう。しかしこのイ・ヨンド流『フランケンシュタイン』は、パロディの仕方も、実にアイロニーに満ちている。
そもそも、キメラの誕生の経緯が、ハンドレイク(とソロチャー)は大掃除で出たゴミを魔法の釜に放りこんだだけであって、キメラ(=『フランケンシュタイン』の”怪物”)を創造する気などさらさらなく、偶然に誕生してしまったというところからして、気が利いている。キリスト教の理念がいまだ力を持っていた頃のイギリスで書かれた『フランケンシュタイン』において、生命創造というわざは神にしか成し得ないものであって、人の身でそれを成し遂げてしまったフランケンシュタインは罰として報いを受けることになる。しかし、イ・ヨンドの書く「ドラゴンラージャ」の世界では、人工の生命というものは(魔術師の実験室であれば)、まったく偶然に、意味もなく誕生してしまう程度の存在だ。そこには神の意志も介在しなければ、親である作成者の意図すらもない。これは、非キリスト教文化圏で、科学の洗礼を受けた現代日本や韓国を生きる私たちが、私たち人間そのものの誕生に対して抱くイメージそのものといってもいいだろう。
『フランケンシュタイン』と同じく、人造の怪物はひどく醜いが、その材料は前述した通り粗大ゴミの集合体でしかなく、どこかおかしみがあるし、それを作り出したハンドレイクとソロチャーも、一瞬驚いて抱き合ったものの、そのあとは研究者らしく実験対象を観察し、分析をはじめる始末であって、フランケンシュタイン氏のように恐ろしさで気を失ってしまったりはしない。つがいを求める理由も全く違う。排斥された孤独を癒す存在を求めた怪物に対して、キメラは、自身の存在を完璧だと信じるからこそ、同じ種族を繁殖させ、増やすことを望む。悲壮感や恐ろしさというものが徹底して脱臭され、滑稽さやおかしみに置き換えられていることもわかるだろう。
『フランケンシュタイン』において怪物がフランケンシュタインを”創造主”と呼ぶのは、キリスト教の神=”創造主”からであり、明らかに『失楽園』における、アダムとアダムを作った神の関係性を意識したものだ。しかし、同じく”創造主”という呼称で呼びかけられるハンドレイクやソロチャーと、その被造物であるキメラの関係性は、それらのパロディではあっても、原型をほとんどとどめていない。
『フランケンシュタイン』と、その作者シェリーが影響を受けていたといわれるミルトン『失楽園』に共通するキリスト教のモチーフは、ここで完全に解体されている。<生命の誕生>や<創造主と被造物>は現代のキリスト教においても重要な概念だが、イ・ヨンドはその文脈から離れ、むしろ、意識的に皮肉っているようにも見える。 (また、”創造主”が独身男性二人であることも、キリスト教の文脈を考えれば皮肉と解釈しうるだろう)
そしてそれはこの作品の本編となる『ドラゴンラージャ』でも同じだ。特定の作品のパロディではないが、イ・ヨンドは明らかに西洋ファンタジーや、その遠い源流である中世ロマンス物――特に「アーサー王伝説」を意識してパロディした上で、読者の固定観念や、枠組みそのものを解体している。それについてはまた別の機会に説明したい。
さて、ここまでが冒頭のプロットだが、ここで物語は『フランケンシュタイン』から離れ、イ・ヨンドらしい予想外な展開へと向かう。
ハンドレイクとソロチャーは、キメラの脅しに関して、一つの疑問に行き当たる――子を成すためのつがいを作るには、キメラの性別を知る必要があるが、全く新しい新種の生命が生まれたとき、どうすればそれが雌か雄かわかるというのか? キリスト教の人間誕生のイメージ(※初めに男であるアダムが作られ、その肋骨から女が作られた)から一度離れてみれば、フェミニズムが(ある程度)浸透し、「男性」を標準とする考えが徐々になくなりつつある現代において、この疑問はきわめて妥当なものといえるだろう。
このあとのあらすじについては簡潔にまとめよう。キメラの性別は何かという疑問は「キメラは男性だろう」というホルスルイン王女の鶴の一声によって一応の決着をみるのだが、ホルスルイン王女はその理由を明かさないため、今度は女とは何か、男とは何かという定義論に彼らの関心は向かう。しかしハンドレイクとキメラの対話はやがて女性への愚痴と堕し、結論が出ないまま、キメラは女を絶滅させようと決意する。そこに再びやってきたホルスルイン王女が「小娘みたい」とキメラに言うと、キメラは自壊してしまう。
ここで直接カリカチュアされているのはおもに男性の、性別(ジェンダー)にまつわる偏見や固定観念の強固さと読むことができるだろう。つまるところ、男性らしさ/女性らしさは裏表の関係にあり、単体では意味をなさない。だからこそ、男性同士のコミュニティにおいては一般に女性的なもの=非男性的なものを排除したり支配することで、自分たちの〈男らしさ〉に拠る絆をより堅固なものにしようとするといわれる。ハンドレイクが、男性とみなしたキメラに、女性についての愚痴を言うのも、それが男性同士の絆を深めるには有効な手段であるからと考えられる。しかしその(社会的)女性性の排除によってつくりあげられた〈男らしさ〉は、ひどく脆いものである。自らの〈男性性〉に強固にとらわれ、その表現のために女性の排除こそを自分自身の存在意義と定義してしまったキメラは、自分自身が〈女性的〉だという指摘に自己矛盾を起こし、自ら崩壊してしまう(生まれたばかりのキメラは、〈男らしさ〉というものすら小一時間前までは知らなかっただろうに!)
しかし当然のことながら、イ・ヨンドが標的にしているのはべつに男性性/女性性のみではない。いわゆる二項対立的な概念自体にひそむ相対性をあばき、内部から自壊させようとしている。これは、「ある研究室の風景」三編を通して読んだときにわかりやすく浮かび上がってくるテーマであり、とりわけ最終編である「幸福の源」では明確に描写されている。
さいわいシリーズはどれも小規模な短編であるので、この三編はいっきに読んでしまうことをおすすめしたい。
【翻訳】イ・ヨンド「読者の期待は重荷でもあり楽しみでもある」
2018.07.16
*yes24 イ・ヨンド インタビュー
イ・ヨンド「読者の期待は重荷でもあり楽しみでもある」
10年ぶりの長編小説『オーバー・ザ・チョイス』出版し
物書きの立場としては、解釈が妥当かどうか知りたいという言葉には他の読者と意見を交換してはどうかとしか答えられませんね。それが文を読み終えたあとのさらなる楽しみというものではありませんか?
それほど遠くない昔、現代韓国にはイ・ヨンドという作家が住んでいた。ハイテルパソコン通信で連載した『ドラゴンラージャ』によって、読者たちは“ゾンビ”を自称し、文章がアップロードされるごとにのこさず読みつくしていき、その後出版された本は膨大な分量で幾多の人々の夜を奪った。韓国的な素材と独創的な世界観で作り上げられた『涙を飲む鳥』『血を飲む鳥』は、商業的にも文学的にも記念碑的な作品となった。(※訳注:『影の痕跡』冒頭段落のパロディと思われる)
時は流れてさらに現代の韓国、『ドラゴンラージャ』10周年記念版を最後に新作の便りがなかったイ・ヨンドが、『オーバー・ザ・チョイス』で戻ってきた。保安官補佐ティール・ストライクが住む町でサニ・ポイントドットという六歳の子供が廃鉱に落ちて死ぬ。娘の死を受け入れられない母親は、服毒自殺を試みるが助けられ、目が覚めるとすぐに、地上と地下の王に剣を捧げればすべての者が復活する世界が来ると叫ぶ。
10年ぶりとなる新作のニュースに、読者たちはツイッターのリアルタイム検索ランキング1位や、数十万を記録した有料購読数など、喜びの声で答えた。死、別れ、復活、癒しなど重々しい単語を並べながらもウィットを忘れない特有の文体はあいかわらずだ。インタビューでの質問に対し、のらりくらりとはぐらかすような答えもあいかわらずである。しかし今、読者は新作に夢中になって楽しんでおり、作者をからかう楽しさも以前と同じままだ。寝ても覚めてもイ・ヨンドの作品を待ち焦がれている読者たちの乾きを癒やすのは難しいだろうが、このインタビューがどうか少しでも作品を楽しむ助けになるように願っている。
何でもできる、開かれた可能性
10年ぶりに長編小説が出版されました。感想はいかがですか?
昔と同じく照れくさいですね。
書店でサイン会をしたとお聞きしました。読者のみなさんに書いてほしいと言われた言葉のうち、印象に残っているものはありますか?
書いた文面よりは、たくさんの方々に言われた言葉が印象に残っています。「中学生の頃初めて触れたが、もう三十代になった」という話をたくさん聞きましたよ(小学生だったり四十代だったり、少しずつ変奏されてはいましたが)。いろいろなことを考えました。
どんなことを考えたんでしょうか?
それは私が20年かけて得たものなので、私一人の胸に大事にしまっておきます。
初版限定サイン本は3000部だったと聞きましたが、手首は大丈夫ですか?
ええ、大丈夫です。
「連載形式が好きなので連載できる場所を探しているが、まだ「ここだ」といえるような場所がない」と2008年におっしゃったことがあります。プラットフォームでの連載形式を好む理由は?
うーん……。ありきたりな言葉ですが、文章を書くというのは自分自身との孤独な戦いだとよくいいますよね。私のような者に同意する資格があるのか疑わしいですが、おおよそ正しい言葉だと思います。音楽にたとえるなら、文章を書くというのはたいてい、作曲や作詞に近いものです。しかし、連載形式にすると、歌を歌うことや演奏することと似てくるところがあるように思えます。観客を目の前にして舞台で歌い、あるいは演奏するというパフォーマンスですね。そこが面白いです。
BritGでの連載を終えられましたが、BritGというプラットフォームはいかがでしたか?
正式サービス開始から一年もたっていないので、雰囲気についてあれこれ話をするのはまだ難しいと思います。オンラインゲームやソーシャルゲームなら数日で充分かもしれませんが、書き込んで、読んで、の呼吸の速度はそれらに比べるとどうしてもすごく遅くなりますからね。そういう、なんでもできるような新鮮な可能性に満ちたところが面白いです。
読者のコメントを読むほうですか?
ええ、読みます。
十万枚の原稿をタイプしても、発表しなければないのと同じ
オーバー・ザ・チョイスに登場したカニットという種族について、読者が想像する姿はそれぞれまったく違うものになるでしょう。そういった他の種族についてのアイディアはどこから生まれるのでしょうか? 心の中で想像されている具体像があるのかもお聞きしたいです。
私が見、聞き、読み、感じてきたすべての物事などから生まれます。具体像とおっしゃるその“具体性”がどの程度を意味しているのかわかりませんが、物語の中で描写される登場人物について、様々な相互作用を想像できる程度の具体像はありますね。
ティール・ストライクは現実世界で流れた時間とは違い、あまり年を取りませんでした。この10年、『オーバー・ザ・チョイス』以外の話には、ティール・ストライクたちはいましたか? もしいるなら、ハードディスクなどに残っているのかどうかも気になります。
うーん。発表しなかった文章について、ああだこうだと言及することは難しいです。原稿用紙数十万枚をタイプしたといっても、発表しなければそれはないのと同じだと思うタイプなので。ですから、ありませんという答えになります。
サニの死は、韓国で起こった一連の不幸な事件を思い起こさせたという反応を多く目にしました。現実が『オーバー・ザ・チョイス』に影響を与えた部分があるのでしょうか?
答えるのが難しい質問ですね。AIでなく血と肉をそなえた物書きであれば、当然現実世界に生きていますから、その意識は常に現実から影響を受けています。しかし、その現実はまた七十億個もの現実のうちの一つにすぎません。
現実世界が変化したぶん、作中世界も同じように変わるべきだと思うタイプかどうかも気になります。
申し訳ありませんが、質問の意味がよく理解できません。今はもう油を得るために鯨を殺すことは容認されない時代だから『白鯨』の内容は変えなければならない……というような話ではないでしょうし。
あいまいな質問でした。時間がたつにつれ、初期の作品と比較して最近の作品で変わった部分があると感じますか?
常識的に考えればどこかしら変わっているのではないかと思いますが、自分自身で綿密に比較したことがないので、なんともいえませんね。
短編よりも長編を、キャラクターよりも出来事や世界観をより重視されているように感じます。「オーバー・ザ」シリーズの世界観は、長い時間をへてふたたび織られたわけですが、いくつもの話を同時に書いていると、こちの世界からあちらの世界、と飛びこえていかなくてはなりません。他の世界に移っていくのは大変ではありませんか?
機械的な部分での困難は当然あります。無意識に別の世界と似た名前の登場人物や場所をタイプしてしまうとかですね。しかし、そんなことはだれにでも起こりうるものではないでしょうか? コールセンターで働く方が、父親からの電話に対して無意識に「はい、お客様」と出てしまうというのはよく聞く失敗談です。そういった一般的な場合と区別されるような、特別な混乱はありません。
タイプするのは楽しい
主にいつ、どうやって書きますか?
これといって決まったルーティーンはありませんが、主に夜に作業していることが多いです。
どうやって校正しているのかも気になります。
できるだけ集中しようと努力しながら読む方法以外思いつきません。本当に効率の悪い方法ですし、もうちょっと効果的な方法が他にあったらいいなと私も思います。
インタビューが難しいといわれる作家の一人です。直接話すよりも、物語を通して言いたいことを伝えるほうが簡単だと思われますか?
私が地方在住であり、また不規則な生活を送っているため、がんばって首都圏に向かう気力を出せず、かといってインタビュアーの方に私の方に来てくれということもできないので(仮に来てくださるという申し出があったとしても私が申し訳ないので)そのまま避けていますね。
イ・ヨンドがこれからも物語を作っていく原動力はなんでしょうか?
タイプする面白さですね。
ドラゴンの「少し放っておいてくれ」という言葉が、実は作者自身の言葉なのではないかという読者の評があります。新作を要求する読者の声援は負担になりませんか?
期待は常に重荷です。期待にこたえなくてはという重圧や、期待にこたえられないのではという不安などがないわけではありません。それでもまた期待してもらえるなら、それは本当に嬉しいことです。
最後に少しいじわるな質問です。『オーバー・ザ・チョイス』で植物を燃やすなという要求が出てきますが、果樹園業となにか関係があるんでしょうか?(答えを避けられてしまうのではと思いましたが、ぜひ質問してみたかったので)
まあ、すべての読者には自分だけの解釈を持つ権利があり、したがっていかなる解釈もすべて正しく、私がそのうちどれが正しいとか間違いだとかいうのは難しいです。同様の論理によって、私はその解釈とは正反対の解釈を公認しないように、その解釈も公認しません。
物書きの立場としては、解釈が妥当かどうかが気になるのなら、他の読者と意見を交換してはどうかと答えるほかありません。それが文章を読み終えたあとに待つ、さらなる楽しみというものではありませんか?
元記事
이영도 “독자의 기대는 부담스러우면서도 좋은 것” | YES24
【翻訳】死者を復活させることは、はたして去った者、残された者にとっての祝福だろうか
ソウル新聞 イ・ヨンド『オーバー・ザ・チョイス』記事
2018.06.29
オーバー・ザ・ホライゾン/イ・ヨンド/金枝/532頁/15,800ウォン
[イ・ヨンド写真]
作品についてほとんど語らないことでよく知られているイ・ヨンドだが、先日の新刊出版記念サイン会で会ったファンに向けた感謝の言葉は惜しまなかった。「キーボードをタイプしていた時間に比べ、それに値する文章をほとんど書けない愚昧な物書きのもとをこころよく訪ね、応援してくださる方々には本当に感謝しています。その時おいでになった方々には直接お伝えましたが、ありがとうございます」
「韓国ファンタジー小説の職人」イ・ヨンド(46)が帰ってきた。「筆者」のかわりに「打者」を自称する彼が今回新たに打った世界は、新刊『オーバー・ザ・チョイス』に収録されている。
韓国・台湾・日本で200万部以上を売り上げた彼の代表作『ドラゴンラージャ』(1998)の10周年記念小説『影の痕跡』(2008)以来10年ぶりにお目見えする長編だ。
イ・ヨンドは作品の発表に長い時間が空いたことについて「『生産性』という名で呼ばれるような能力を磨くことができなかった人間であり、作品を公開することへの特別な衝動やきっかけがなかったためだ」「久しぶりに雑文を手に戻ってきても、以前とほとんど変わらない。相変わらず恥ずかしい」と言う。
新作に対するファンの長年の渇望を表すように、新作は発売日からの一週間で3万部を売りあげた。
物語の舞台となるのは、人間やオーク、カニット、ウェアウルフなど多様な種族が共に暮らすある小さな町だ。6歳の少女サニ・ポインドットが廃鉱の換気口に挟まれるという事故が発生する。保安官イパリ・ハードトゥースと保安官補佐ティール・ストライクはみなと協力して少女を救助するために力を尽くすが、力およばず彼女は遺体となって発見される。その現場近くでは、馬車事故の事故現場から唯一の生存者である15歳の少年デンワード・イカドが発見され、物語は矢継ぎ早に展開されていく。保安官補佐ティールが奇妙な言動の少年デンワードの正体を追うなかで、村ではひと騒動がもちあがる。娘サニを失った悲しみから服毒自殺未遂を起こしたポインドット夫人が、昏睡から目を覚ますと「地上と地下の主人のためにある剣を見つければ、死者を復活させることができる」とみなに告げたため、町は混乱に陥る。
作者は幼い娘をおそろしい事故で失った夫婦、婚約者を失った人狼、自身が仕えた魔法使いの主人を看取った小人など、大切な相手を胸に抱えた者たちとデンワードを通して、死と復活の意味を問う。
はたして、死者をよみがえらせることが亡くなった者と残された者すべてにとって祝福の贈り物となるのか……。
豊かな発想力で知られるイ・ヨンドらしく、地上と地下の両方にまたがって生きる植物が持つ生命力を題材にして、このような哲学的なテーマを扱うという点が特徴的だ。植物を燃やさなくては生活を維持できない人類が終末の危機に直面する姿は、無分別な環境破壊のために自然災害と向き合わなくてはならない私たちの現状を連想させる。死、復活、終末など人間の生死にかかわる壮大なテーマを扱っているが、作者特有のウィットに満ちた文章とあちこちに隠されたどんでん返しが読者を退屈させない。
彼の作品が時がたっても変わらない魅力で読者の心をつかむ理由は、作者自身にあるだろう。奇想天外なアイディアについてインスピレーションを受けたというかわりに、イ・ヨンドは「打者として、ただ打っただけだ」という。「打ってみれば楽しいのではないかという錯覚、物書きに文章を書くという無分別な冒険に飛び込ませる習慣的な錯覚」から生まれた物語だという。
次の作品については具体的な計画がないという彼は、この作品を通じて読者に伝えたいメッセージは?いう愚かな質問に、彼らしいひょうひょうとした答えを返した。彼の新作をたっぷり味わうために、ファンにとっては大切な助言かもしれない。
「読んでくださる方々へのメッセージを強いていうなら、『読書は明るいところで、たまにストレッチを挟むのもいいでしょう』でしょうか」
元記事:
과연 죽은 자를 살려내는 것 떠난 자, 남은 자에 축복일까
【翻訳】韓国ファンタジー小説の巨匠、イ・ヨンド 十年ぶりの帰還
2017.12.22
韓国のファンタジー小説の巨匠、イ・ヨンド
2018年長編小説『オーバー・ザ・チョイス』を手に戻ってくる!
『ドラゴンラージャ』のイヨンド、10年ぶりに新作小説『オーバー・ザ・チョイス』発表予定
近年の韓国の主要な社会問題をファンタジー小説に密に盛り込んだ力作
『ドラゴンラージャ』で韓国、日本、台湾、中国などにおいて200万部以上を売り上げた代表的なファンタジー小説家イ・ヨンドが、長い沈黙を破り、ついに新作長編小説を発表する。新作『オーバー・ザ・チョイス』は、イ・ヨンド氏の短編小説の中でも最も人気の高い『オーバー・ザ・ホライゾン』の世界観を受け継ぐ原稿用紙1900枚の長編小説で、小さな町の保安官補ティール・ストライクと彼のまわりで繰り広げられる奇想天外な話を、イ・ヨンド氏特有の緻密な構成とユーモラスな描写、興味深いキャラクターと吸引力のある展開でえがく。
作品が出るたび、その強烈な主題意識で読者の注目を集める著者は、今回「大切な人を失った人々」「環境破壊がもたらす災害」「恐ろしい自然災害」など、近年韓国社会で大きく取り沙汰されたテーマをファンタジー世界の中に密に反映している。
イ・ヨンド氏は1998年に出版された『ドラゴンラージャ』で売上100万部を記録し、名実ともに韓国のファンタジー文学の全盛期を代表する作家として、2008年までに5本の長編小説と1冊の短編集を出版した。氏の作品は高校の教科書にも収録され、またPC向けのオンラインゲームも作られて世界的な人気を博した。日本、台湾、中国でも翻訳が出版されて100万部以上の売り上げを達成し、映画制作会社が版権を購入、制作準備がすすんでいる。2016年にはモバイル向けソーシャルゲーム「ドラゴンラージャM」がリリース、Googleベストセラーにランクインするなど、大きな成功を収めており、2018年にも3種類の「ドラゴンラージャ」ゲームがリリース予定。
10年ぶりに披露される長編小説『オーバー・ザ・チョイス』は、2018年初頭、ファングムガジ(黄金枝※出版社)のオンライン小説プラットフォームであるBritGの正式オープンにあわせて独占連載、同年夏に書籍として出版予定である。現在BritGでは、「オーバー・ザ・ホライゾン」、「オーバー・ザ・ネビュラ」、「オーバー・ザ・ミスト」など連作短編小説が順に連載されている。
あらすじ
一人の子供が、友達と遊んでいるうちに廃鉱の換気口に落ちてしまうという事件が起こる。保安官補のティール・ストライクや大人たちは協力して子供を救助しようとするが、結局、子供は十一日後に冷たい遺体となって地上にあがってくる。子供の死を信じられない親を慰めるための騒ぎが起きるなか、偶然にも馬車の事故現場を発見することに。ティールは現場で、死んだ八頭の馬、男女二人の遺体、そして生存者一人を発見する。身元のわからない生存者はデンワードという名の少年で、ティールは、彼と死亡した一行が王国の重大な目的のためにここに来たと推測する。そんな中、死んだ子供の母が服毒するが命を救われるという出来事が起きる。彼女は目を覚ましたあと、自分の子供がよみがえる方法があると言って騒動を起こし……。
元記事
ファングムガジ(出版社)公式プレス
[보도] 한국 판타지 소설의 거장, 이영도 10년 만의 귀환